草津温泉との関わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 08:17 UTC 版)
「エルヴィン・フォン・ベルツ」の記事における「草津温泉との関わり」の解説
草津温泉を再発見、世界に紹介した人物でもある。1878年(明治11年)頃より草津温泉を訪れるようになり、「草津には無比の温泉以外に、日本で最上の山の空気と、全く理想的な飲料水がある。もしこんな土地がヨーロッパにあったとしたら、カルルスバート(現在はチェコ領の温泉カルロヴィ・ヴァリ)よりも賑わうことだろう」と評価する。 1880年(明治13年)、別爾都(ベルツ)著『日本鑛泉論』(中央衛生会)を発刊。日本には多くの温泉があり療養に利用されているが、これを指導する機関がない。政府は温泉治療を指導すべきであると説いている。 1890年(明治23年)、草津に約6000坪の土地と温泉を購入、温泉保養地づくりをめざす。 1896年(明治29年)、草津の時間湯を研究した論文「熱水浴療論」(Behandlung mit heißen Wasserbädern)が『ドイツ内科学書』(Handbuch der speziellen Therapie innerer Krankheiten)に収録される。 草津温泉にはベルツの名を冠した「ベルツ通り」がある。 ベルツは大変な健脚で噴火直後の草津白根山にも登頂したことがあり、その際の手記は現在でも貴重な火山学的資料になっている。 伊香保温泉には別荘を構えて友人知人と幾度となく訪ねた。
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