草津市南部新都心と新駅の構想
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「南草津駅」の記事における「草津市南部新都心と新駅の構想」の解説
現在の南草津駅は狭間池を埋め立てて造成した区域である。1960年代の高度経済成長期に入ると、周辺の地域で大規模な工場が立地するが、駅周辺は森林に覆われたままであった。 1978年(昭和53年)12月の市議会で、当時の草津市長が、草津駅と瀬田駅のほぼ中間の野路町辺りに新駅を設置し、周辺を「南部新都心」として開発する構想を表明したのが始まりである。 この構想は、草津川の新水路を開設して平地河川化する改良計画に伴い、草津市南部が新水路で分断されることへの対策と周辺の住宅地の玄関口を兼ねたものであった。 その後、1985年(昭和60年)7月1日に「南部新都心」構想の期成同盟会が結成され、次いで、1986年(昭和61年)3月27日に草津商工会議所が事務局となって「草津市南部新駅」の期成同盟会が結成され、「草津市南部新駅」の新設を求めて関係機関などへの働き掛けを本格化させた。 これを受けて、新駅を中心として周辺一帯で区画整理などを行う「南部新都心計画」が事業化に向けて動き出すことになった。
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