茅根氏の歴史
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茅根氏は従四位下鎮守府将軍藤原秀郷を祖とする武門小野崎氏の庶家である。秀郷より8代通盛は常陸国久慈郡小野崎村に家を興し、小野崎通長の次男通景が、茅根大和守を称して、茅根氏を興した。代々、茅根城主次いで大橋城主を世襲するとともに諱は小野崎一門の通字でもある「通」の字を以って充て、受領名には茅根氏初代 通景の称した大和守や尾張守、修理亮を名乗った。 以来、茅根氏は常陸に土着する武士として守護の佐竹氏や本家で常陸守護代 小野崎氏、同じく常陸守護代 江戸氏に仕えて戦功を重ねた。佐竹家臣たる茅根氏としては文亀2年(1502年)8月15日、源姓たる主家 佐竹氏に異姓たる藤姓上杉氏からの入婿に反対する山入氏に加担し、主家に反抗して討ち死にした武将として茅根九郎三郎の名が見えるが、その後も茅根氏は佐竹家臣として続いており、佐竹義重御家門衆に茅根兵庫、久慈郡西東衆に30貫取りの武士として茅根七郎などが見える。また、小野崎氏に仕えた茅根氏は大森氏をはじめ、瀧氏、天龍氏、石佐氏、波氏、赤須氏などとともに小野崎通経の家老に列せられた。江戸氏家臣としては中利員村に260貫を領する部将として茅根内膳の名が見える。 佐竹氏の秋田転封に際しては秋田に動向した者と常陸国に留まり、後に常陸国に留まった家系からは後に水戸徳川家に仕官した者、士分を得ず神官などをした者などに別れた。
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