英国貴族との関係
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1923年、ケンブリッジ侯爵の隠し子と言われているヴェラ・ベイト・ロンバルディ(英語版)は、シャネルに最上級の英国貴族社交界に加わることを認めた。これは政治家ウィンストン・チャーチルやウェストミンスター公のような貴族、およびエドワード8世のような王族ら、重要人物を中心に運営されているエリートのグループであった。1923年にモンテ・カルロにおいて、当時40歳のシャネルはロンバルディによって大富豪であるウェストミンスター公ヒュー・リチャード・アーサー・グローヴナー(英語版)に紹介された。彼は親しい人々から「ベンドア(Bendor)」と呼ばれていた。ウェストミンスター公はシャネルに豪華な宝石、高価な美術品、ロンドンの有名なメイフェア地区にある邸宅を気前よく与えた。彼とシャネルの関係は10年続いた:36–37。 公爵に紹介されたのと同じように、再びロンバルディを通じて、ロンバルディの従兄弟であった王太子(プリンス・オブ・ウェールズ)のエドワード8世に紹介された。エドワード8世はシャネルに惚れ込み、シャネルとウェストミンスター公の関係を知りつつ彼女を追いかけた。エドワード8世がシャネルのアパルトマンを訪れ、自分を彼に親しい人々と同じように「デーヴィッド(David)」と呼ぶように求めたというゴシップがあった。数年後、『ヴォーグ』誌の編集者ダイアナ・ヴリーランドは「情熱的でひたむきで、猛烈に独立心旺盛な、その存在そのものが偉業であるシャネル」はエドワード8世と「すばらしいロマンティックなひとときをともにしたことがあった」と書いた:71。 1927年、ウェストミンスター公はアルプ=マリティーム県(プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏)にあるロクブリュヌ=カップ=マルタンに購入した土地をシャネルに贈り、シャネルはそこに別荘(villa)を建設した。これは建築家のロベール・ストレイツ(Robert Streitz)によって建てられ、彼女はこれをラ・パウザ(英語版)(La Pausa、休息所)と呼んだ。ストレイツは階段とパティオのコンセプトにシャネルが若き日を過ごしたオーバジーヌ(英語版)修道院から影響を受けたデザイン要素が取り入れた:48–49。ウェストミンスター公とシャネルの関係はゴシップ誌に結婚を噂されるほどのものになり、ウェストミンスター公自身もシャネルに仕事を辞めてパートナーになることを求めていた:85。しかし、シャネルが結婚することはなかった。なぜウェストミンスター公と結婚しなかったのか、と問われた時、シャネルは「ウェストミンスター公は何人もいました。シャネルは1人しかいません」と答えたと言われる。
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