芳蔵の時代とは? わかりやすく解説

芳蔵の時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 06:02 UTC 版)

春華堂」の記事における「芳蔵の時代」の解説

幕末最末期慶応元年1865年)、宇津ノ谷峠茶屋を営む家に生まれたのが、創業者山崎である。当時宇津ノ谷峠は、駿河国志太郡有渡郡宇津ノ谷志太郡岡部宿を繫ぐ東海道の峠で、間の宿役割果たしていた。現在の地名言えば静岡県静岡市駿河区宇津ノ谷藤枝市岡部町岡部坂下の境にある峠で、国道1号旧・東海道)が通っている。 江戸時代における宇津ノ谷峠は、陸上交通網の大動脈であった東海道通じ要衝だけに、茶屋実入り良かった考えられるが、明治時代は入ると一転参勤交代撤廃されたことも大きく響き往来賑わい失われたそのような宇津ノ谷峠から新し商売求めて青年が街に出たのは、1887年明治20年)、蒸気機関車鉄道駅浜松駅)の開通数年後控え浜松浜松城下)であった。その一角静岡県敷知郡浜松鍛冶町(現・浜松市中区鍛冶町)にて、芳露天式の店を始め白花豆甘納豆を独自で売り出して人気を得るようになる。この和菓子店が、春華堂起源にあたる。開業当初主力商品であった甘納豆は、浜松名産品であった浜納豆ヒント独学開発したという。1889年明治22年4月16日鉄道局官設鉄道国鉄前身東海道線静岡駅まで延伸することで新橋駅までの既存線と直結すると、浜松駅途中駅として開業漕ぎ着け、ここに、鉄道の手土産土産菓子)を求め人々重要な顧客とする春華堂歴史幕を開けた

※この「芳蔵の時代」の解説は、「春華堂」の解説の一部です。
「芳蔵の時代」を含む「春華堂」の記事については、「春華堂」の概要を参照ください。

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