芳蔵の時代
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幕末も最末期の慶応元年(1865年)、宇津ノ谷峠で茶屋を営む家に生まれたのが、創業者・山崎芳蔵である。当時の宇津ノ谷峠は、駿河国の志太郡有渡郡宇津ノ谷村と志太郡岡部宿を繫ぐ東海道の峠で、間の宿の役割も果たしていた。現在の地名で言えば、静岡県の静岡市駿河区宇津ノ谷と藤枝市岡部町岡部坂下の境にある峠で、国道1号(旧・東海道)が通っている。 江戸時代における宇津ノ谷峠は、陸上交通網の大動脈であった東海道が通じる要衝だけに、茶屋も実入りが良かったと考えられるが、明治時代は入ると一転、参勤交代が撤廃されたことも大きく響き、往来の賑わいは失われた。そのような宇津ノ谷峠から新しい商売を求めて芳蔵青年が街に出たのは、1887年(明治20年)、蒸気機関車の鉄道駅(浜松駅)の開通を数年後に控える浜松(浜松城下)であった。その一角の静岡県敷知郡浜松鍛冶町(現・浜松市中区鍛冶町)にて、芳蔵は露天式の店を始め、白花豆の甘納豆を独自で売り出して人気を得るようになる。この和菓子店が、春華堂の起源にあたる。開業当初の主力商品であった甘納豆は、浜松の名産品であった浜納豆をヒントに独学で開発したという。1889年(明治22年)4月16日、鉄道局の官設鉄道(国鉄の前身)東海道線が静岡駅まで延伸することで新橋駅までの既存線と直結すると、浜松駅は途中駅として開業に漕ぎ着け、ここに、鉄道旅の手土産(土産菓子)を求める人々を重要な顧客とする春華堂の歴史が幕を開けた。
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