芝川での水力開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 02:37 UTC 版)
下記#発電所一覧にある通り、静岡電力が運転していた発電所は水力発電所5か所(総出力6,619キロワット)と火力発電所1か所(出力2,000キロワット)であった。そのうち水力発電所については4か所が富士川水系の芝川に集中する。芝川は富士山麓南西を流れる河川で、流量の変化が比較的少ないという水力発電の適地である。芝川における水力発電所建設の歴史は古く、1910年(明治43年)に最初の発電所が完成している。周辺地域に多く集まる製紙業に関連して発電所建設が展開されたことも特徴であり、下流側に発電所を構えた静岡電力(四日市製紙)に加え、上流側でも富士製紙傘下の富士水電により開発が進められた。 静岡電力が芝川に構えた4か所の発電所のうち、1911年9月運転開始の大久保発電所と、1920年2月運転開始の川合発電所(出力3,080キロワット)の2か所は四日市製紙時代の建設である。川合発電所は大久保発電所の下流側、富士川との合流点近くに位置する。3番目の発電所は鳥並発電所(出力1,060キロワット)で、静岡電力発足後の1922年(大正11年)12月に運転を開始。同発電所は大久保発電所の上流側にある。4番目の発電所は朏島発電所(出力632キロワット)であり、1926年(大正15年)2月に運転を始めた。大久保発電所取水地点の下流側で取水し、同発電所よりも下流側の、富士川合流点からも下がった地点で発電する。 芝川の発電所群から送電線は二手に伸びていた。一つは川合発電所から富士川下流の岩淵変電所(富士川町所在)へと伸びる7キロメートルの路線。もう一つは、小島・静岡(大里村所在)・志太(西益津村所在)の各変電所を経て焼津変電所へ至る計54キロメートルの路線である。どちらも送電電圧は44キロボルトが採用されていた。また5か所の変電所のうち、静岡変電所には静岡火力発電所とを繋ぐ送電線も接続した。同発電所は静岡市内の音羽町に位置し、1924年(大正13年)12月より運転されている。 こうした電源に対し、大口供給先には静岡市営電気供給事業があった。市営電気への供給は、1911年9月より1,000キロワットで開始。1920年に川合発電所が完成すると2,000キロワットの供給契約となり、静岡電力時代の1923年6月には契約高が3,000キロワットに引き上げられた。
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