芝川家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/09 04:41 UTC 版)
土地を提供した地主の芝川又右衛門は、呉服商「大阪百足屋」を営んでいた先代新助(1793-1865)が大阪伏見町に唐物商(欧米品輸入業)「百足屋」を開業して成功した豪商である。明治17年(1884年)に初代又右衛門(又平。1823-1912。先代新助の娘婿)が西宮甲東園の土地を入手して不動産業に乗り出し、明治29年(1896)に二代目又右衛門(1853-1937)が村山龍平、外山脩造と「大阪殖林合資会社」を設立して果樹園「甲東園」を拓いた。明治44年(1911)には当地に別荘を建てて関西財界人との交友の場とし、阪急に駅の設置を依頼して設置費用と周辺の土地一万坪を阪急に提供、これが現在の甲東園地域開発の端緒となった。 武田五一設計の芝川家別荘洋館部分は博物館明治村に移築され公開展示されている。移築にあたっては、甲東園の坂の上にあった別荘の景観により近づけるため、段差を造成して復原された。芝川家は大阪の千島、千歳、加賀屋の三新田も購入し、1912(明治45)年に千島土地株式会社を設立して不動産業を本業とし、二代目の息子の又四郎(1883-1970)の代に手掛けた芝川ビルディングは歴史的建造物(国の登録有形文化財)として現存する。 二代目又衛門の妻は山口財閥三代目山口吉郎兵衛の妹。又四郎の妻の兄に小坂狷二、娘の夫に男爵前田勇 (陸軍軍人)の次男。親戚には日本毛織創業者の芝川栄助などがいる。
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