舞台劇『外套』
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「外套 (プッチーニ)」の記事における「舞台劇『外套』」の解説
1913年、パリを訪れていたプッチーニは、同地で1910年からロングラン上演されていたディディエ・ゴルドの舞台劇『外套』を観た。それはパリ・セーヌ河の荷物船船上で生活する人々の愛憎模様と、そこで発生したショッキングな殺人を題材とするものだった。彼はこの劇を気に入り、早速、長年共同関係にあった台本作家ルイージ・イッリカにオペラ化権の確保と台本作成検討を要請する書簡を送っている。同書簡中でプッチーニは、 「これは確かにどこから見てもアパッシュだ。殆ど、いや殆どどころでない完全なグラン・ギニョールだ。しかしそんなことはどうでもいい。僕はこの芝居が気に入った。とても効果的だと思う。ただ、このどぎつく真っ赤な鮮血と釣り合いをとる意味で、何か完全に違った性質の題材が必要だ。僕は今それを探している。」 と述べている。注目されるのは、この1913年の時点ですでにプッチーニが『外套』を単一のオペラとしてでなく、別作品と組み合せて上演するべきものと最初から考えていることである。彼が長年温めていた「傾向の異なるいくつかの短篇オペラを一夜で上演する」という「三部作」構想がこうして具体的にスタートした。
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