自動ドア大きく開き子規忌なる
作 者 |
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季 語 |
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季 節 |
秋 |
出 典 |
袖のあはれ |
前 書 |
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評 言 |
高齢化が進み俳句人口の減少が言われている。その一方で、至る所にカルチャースクールの俳句講座が開設されている。俳句をやるという意志さえあれば、今は誰でもが参加できる時代である。しかも、その門を叩く者は圧倒的に女性が多い。近代俳句の祖である正岡子規の時代の俳壇は確固たる信念を持った男性達の集まりであったようである。 掲句は2009年刊の句集「袖のあはれ」よりの1句である。自動ドアの前に立つと、ひとりでドアが開く。今日は9月19日。自動ドアという現実の物に接したときに、子規忌であるという認識が浮上してきた。この実在する事物と、意識下の認識の出会いに、ふと心が開け、思いを巡らせたのである。 俳句を志す者達が自動ドアの前に立つと、あたかも「いらっしゃい」とでも言うように、現俳壇が招き入れてくれる。入会試験もなく誰でもが参加でき、しかも狭き門ではなく、それは大きく開いているのである。作者が下五を「子規忌なる」と連体形で止めたことは、その後に「今日は」が省略されているのだろう。俳句を志せば、本当に誰でも迎えていいものかと、子規に問いかけているのである。現在の俳壇を揶揄し、嘆いているようにも思われる。 作者は本句集のあとがきで「今回は『内面』と『外界』という問題がなぜか突如として浮上してきた。」と記している。そして「昨今見聞する俳壇の情勢下では、少なくとも『内面』などは、時代錯誤と受け取られかねない用語である。」とも述べているが、掲句はまさに作者が心に抱いている子規に関わる「内面」の句であると言える。 写真:荒川健一 |
評 者 |
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備 考 |
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