脳科学からの批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 01:57 UTC 版)
近年は脳科学が劇的に進歩したため、精神医学も脳による説明を求められるようになったが、精神医学が経験則や現象学的な考えから成り立っている上、脳科学自体が発展途上にあるという事情もあり、未だ説明が十分でない。精神分析の用語には脳科学的な妥当性を持つものは少なく、無理に認知心理学などの用語に置き換える場合もあるが、それも不可能であるケースが多い。 1950年代から精神分析では脳精神医学との見地を統合した精神分析的理解を提示している。そこでは特にリビドー論=本能欲求論が否定されており、脳においては電気信号を発信するのみでエネルギーは移動しないとしている。また意識=思考も同意語ではなく、フロイトの取り上げた1900年代の様々な生物学的論文の内容はかなり現在では否定的に見られている。そのため脳科学などの実験心理学的立場からすると、フロイトの理論―心的構造論やリビドー理論はほぼ仮説であり、検証不可能なものとして理解されている。 フロイト自身は様々な生物学的見地から基づく論文や脳神経医学に基づく論文を引用して、自身の精神分析学理論の妥当性を主張していたために、当時としては科学的に見られる部分もあったが、現代の者から見ればその多くの点が間違っていたり、全く脳精神医学からの科学的研究の基礎が無いままに展開されていた理論も多数であったと考えられている。その代表例としてはユングの無意識理論であり、あれはほとんど人文学の研究に近いと言われており、脳科学からの検証は不可能である。ただしもちろん近年に近づくにつれて精神分析学は脳精神医学の様々な科学的見地と歩調を合わせながら理論を考えるようになっている。
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