聖火宿泊碑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 01:38 UTC 版)
嘉陽は、1964年(昭和39年)10月東京で開催されたオリンピックの聖火の宿泊地である。同年8月にギリシャのオリンピアで採火式が開催され、聖火は各国をリレー形式で縦断したのち、9月に沖縄に繋がれた。8日には久志の嘉陽で聖火が宿泊した。本土と分断されていた時代、聖火リレーは人々の注目を集めた。1963年(昭和38年)四月嘉陽小中学校(現在は美ら島自然学校)PTA総会において、仲村民雄(当時久志村役所勤務)から、「聖火が嘉陽に宿泊するのを機会に、PTAの記念事業として聖火宿泊碑や五輪の池などをつくったらどうか」との提案が出され、会員の賛同を得て建立が決定した。以降、この碑を基点に「嘉陽聖火宿泊記念マラソン」が毎年行われている。 聖火のあとさきの詩碑 聖火宿泊碑から国道331号線を挟んで向かい側に位置する。1965年(昭和40年)、聖火宿泊の感慨を綴った宮城敏男の詩を刻んだ碑が建立された。
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