習志野自動車による木下へのバス(戦前)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 04:03 UTC 版)
「ちばレインボーバス」の記事における「習志野自動車による木下へのバス(戦前)」の解説
神崎線(現、津田沼駅〜木下駅)の起源は、現在の船橋市薬円台に事務所を置いていた個人事業者白井保四郎が1927年(昭和2年)10月5日付で営業を始めた船橋駅〜大和田および新木戸〜睦村平戸の2路線である。なお、白井によるバス事業の創業は同年3月11日の谷津〜津田沼駅〜大久保〜実籾線からである。その後、1933年に佐山、1935年頃に船尾を通り木下まで全通した。 詳細は「京成バス習志野出張所#起源」を参照 それからまもない1937年1月に京成電鉄が同社の路線を買収し、習志野営業所(現・習志野出張所)を国鉄総武本線津田沼駅近傍に設置した。ちなみに、習志野自動車株式会社はバス路線を手放した後、保険代理業に業種転換し、現在でも京成保険コンサルティングとして存続している。同社の設立年月日は1935年7月15日になっており、前述した個人事業者の法人化がこの日のようである。京成としての神崎線の開通の経緯は以上の通りである。 その後、習志野営業所は1957年(昭和32年)に船橋市宮本に新設された花輪車庫へと移転。1959年(昭和34年)、正式に船橋営業所と改称した。 詳細は「京成バス習志野出張所#戦後の路線拡張」を参照
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