美術展覧会への出品活動
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明治27年(1894年)の日本青年絵画協会第3回絵画共進会に「虎図」を出品し三等褒状を受賞する。明治34年(1901年)11月の絵画研究会に「塔図」を出品、三等賞銅印を得ている。翌明治35年(1902年)4月には「布袋図」を出品し、褒状一等を受賞した。また、明治34年の美術展覧会に、自らの出品ではなかったが藤井祐敬という人が出品した暁亭の「謡曲百萬図」が二等銀賞を受賞している。また、日月会、大東絵画協会、巽画会会員になっている。明治40年(1907年)、東京勧業博覧会に「愛児」を出品、三等賞牌受賞。文展開設では正派同志会(旧派)結成に評議員として参加した。 この後の約20年間は何故か美術展覧会の出品を控えているが、昭和3年(1928年)から昭和8年(1933年)にかけて計5回の美術展覧会にも5点の屏風ものと1点の軸装と思われる作品を出品、そのうち2回入賞を果たしている。昭和4年(1929年)の第81回美術展覧会の時、「杉」6曲1双屏風が三等賞銅牌を、昭和6年(1931年)の第87回美術展覧会の時、「猿」6曲1双が同じく三等賞を受賞している。暁亭は昭和6年に日本美術協会の会員となっていた。
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