美濃忠の創業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/23 05:35 UTC 版)
桔梗屋で長年奉公した初代伊藤忠兵衛は、子どもがいない桔梗屋から養子の打診があったが、これを断って独立した。安政元年(1854年)に名古屋城下の和泉町(現・名古屋市中区丸の内)に創業してのれん分けを許されるとともに、桔梗屋の目玉商品である上り羊羹や初かつをの製法も受け継いだ。同じように桔梗屋から独立した和菓子店としては、弘化3年(1846年)の鍋屋町の河村屋、嘉永元年(1848年)の下茶屋町の不老園、宮町の松川屋、南桑名町の中野屋などがある。 忠兵衛の独立当初の屋号は美濃屋だったが、後に自身の名から一字を採った美濃忠に改めている。なお、桔梗屋は明治中期に途絶えている。1911年(明治44年)には東京・赤坂溜池で開催された第1回帝国菓子飴大品評会や京都で開催された京都博覧会などに出品し、その品質が高く評価された。1934年(昭和9年)に松阪屋で開催された勅題菓子展覧会には「美の忠」として出品している。戦前には桔梗屋からのれん分けされた和菓子店で作る菓選会という会合があり、美濃忠に加えて泉万、不老園、河村屋、松川屋の5店が代表格だった。
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