繁華街の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 23:41 UTC 版)
明治時代から商店などが集中したため、現在でも明治創業の店舗が残っている。 明治6年(1873年)に興行場が開かれ、大相撲も催される興行街となる。明治15年(1882年)に遊郭が高島町から真金町へ再々移転すると、関内から遊郭への通り道となり、伊勢佐木町通りを中心に繁華街へ発展。明治44年(1911年)にはドイツ人貿易商・ヴェルダーマンが日本最初の洋画封切館であるオデヲン座を開館、大正初期までには東京・浅草や大阪・千日前と並ぶ大繁華街となり、「ザキブラ」「イセブラ」なる言葉も生まれた。 関東大震災で大被害を受けたが復興は早く、昭和に入ってなおも大いに栄えるが、太平洋戦争で被災、更に戦後は占領軍によって接収される。昭和26年(1951年)返還が順次開始され、復興が本格化したのは昭和30年代に入ってからである。 昭和53年(1978年)からは恒久的なかたちでの歩行者天国が実施されている。また近年では、ミュージシャンのゆずがアマチュア時代にストリートライブをよく行っていた場所として知られている。
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