繁栄稲荷神社 (江東区)とは? わかりやすく解説

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繁栄稲荷神社 (江東区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/21 13:39 UTC 版)

繁栄稲荷神社


拝殿

所在地 東京都江東区木場2-18-11
位置 北緯35度40分12.3秒 東経139度48分17.4秒 / 北緯35.670083度 東経139.804833度 / 35.670083; 139.804833 (繁栄稲荷神社 (江東区))座標: 北緯35度40分12.3秒 東経139度48分17.4秒 / 北緯35.670083度 東経139.804833度 / 35.670083; 139.804833 (繁栄稲荷神社 (江東区))
主祭神 宇迦魂命稲荷神
創建 宝暦7年(1757年
地図
繁栄稲荷神社
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繁栄稲荷神社(はんえいいなりじんじゃ)は東京都江東区神社

概要

1757年宝暦7年)に創建された。大丸の創始者の下村彦右衛門正啓の没後9年、第3代の兼保の代に[1]当地に倉庫と別邸を構え、屋敷神として彦右衛門の出身地である京都の伏見稲荷大社から分霊した[2]稲荷神を祀ったのが起源である[3]

1911年明治44年)、大丸呉服店東京店の撤退(東京駅八重洲口の大丸東京店は、戦後の再進出)に伴い、初代根津嘉一郎が下村家別荘内の樹木や奇石などとともに引き取り[4]青山の根津邸に移築して「嘉栄稲荷」として祀った[5]。大丸関係者の記憶からは繁栄稲荷のことは忘れ去られていたが、根津邸跡に開館した根津美術館の敷地内に遷座していたことを1959年になって知る。深川一帯は関東大震災東京大空襲の被害の大きい地域であったが、青山に移っていたため災いを免れていたのである。1961年昭和36年)11月1日に「繁栄稲荷神社」と名を戻したうえで旧地近くに再遷座され[4]1989年平成元年)には大丸コアビル(現 大丸松坂屋百貨店本社)建設のため隣接地に移された[2]

2014年4月4日には本殿が江東区指定有形文化財に指定された[2]

交通アクセス

脚注

  1. ^ (三百年史 2018, p. 60)
  2. ^ a b c 繁栄稲荷神社本殿江東区役所
  3. ^ 細田隆善 1992, p. 113.
  4. ^ a b (三百年史 2018, p. 62)
  5. ^ 繁栄稲荷神社 - ウェイバックマシン(2020年6月15日アーカイブ分)(江東区観光協会「江東おでかけ情報局」)

参考文献

  • 細田隆善『江東区史跡散歩』学生社〈東京史跡ガイド8〉、1992年。 
  • J.フロント リテイリング株式会社『大丸三百年史』2018年12月。 



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