総合文化雑誌として
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「レットル・フランセーズ」の記事における「総合文化雑誌として」の解説
共産党、およびそのレジスタンス・グループ「国民戦線」、さらにその一派として結成された全国作家委員会との関係から、『レットル・フランセーズ』誌はパリ解放後に合法とされた後に内部対立が生じたが、戦後、同じく戦時中に地下出版された演劇雑誌『ラ・セーヌ・フランセーズ(La Scène française、フランス演劇)』、音楽雑誌『ミュジシアン・ドージュールドュイ(Musiciens d'aujourd'hui、現代音楽家)』、映画雑誌『レクラン・フランセ(フランス映画)』を吸収したことから、やがて共産党の機関紙としてではなく総合文化雑誌として、この後1972年まで刊行されることになった。同年に終刊になるまでは引き続き週刊雑誌であったが、この後1990年にジャン・リスタ(フランス語版)によって月刊雑誌として再刊され、1993年に再び終刊となった。ジャン・リスタは1974年に文学雑誌『ディグラフ(フランス語版)』およびディグラフ叢書を創刊した詩人であり、特にロラン・バルトやジャック・デリダと親しく、「ディグラフ」という誌名・叢書名はジャック・デリダが提案したものであった。リスタはまず1989年12月に『ディグラフ』誌の差し込み記事として『レットル・フランセーズ』誌第1号を発表し、第2号(1990年10月)から最終号の第33号(1933年)まで月刊誌として刊行した。2004年3月から2011年3月まで『リュマニテ』紙の差し込み記事(16ページ)として毎月第1土曜に刊行され、2011年4月4月の第116号から2018年の第166号まではオンライン版のみを刊行。2019年からオンライン版と併せて再び紙版が刊行されている。 2004年に再刊された当初は、ミシェル・フーコー(2004年9月)、ジャック・デリダ(2004年10月)、ジャン=ポール・サルトル(2005年4月)、ジル・ドゥルーズ(2006年1月)など20世紀の哲学者や、クイア理論(2004年8月)、ヌーヴォー・ロマン(2006年1月)など20世紀の主な運動に関する特集が組まれている。近年ではこうした特集と併せて、若手アーティストを積極的に紹介している。 リスタは、2004年の再刊にあたって、「これまで以上に知的なレジスタンスが必要になっている」現在において、『レットル・フランセーズ』誌は「この闘争の前衛(アヴァンギャルド)に立って」、他の組織とともに「無教養、思考の貧困さ、仕組まれ、拡大する愚鈍化」と闘わなければならないとしている。
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