総合文化雑誌としてとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 総合文化雑誌としての意味・解説 

総合文化雑誌として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/24 04:48 UTC 版)

レットル・フランセーズ」の記事における「総合文化雑誌として」の解説

共産党、およびそのレジスタンス・グループ「国民戦線」、さらにその一派として結成され全国作家委員会との関係から、『レットル・フランセーズ』誌はパリ解放後に合法とされた後に内部対立生じたが、戦後同じく戦時中地下出版された演劇雑誌『ラ・セーヌ・フランセーズ(La Scène françaiseフランス演劇)』、音楽雑誌『ミュジシアン・ドージュールドュイ(Musiciens d'aujourd'hui、現代音楽家)』、映画雑誌レクラン・フランセフランス映画)』を吸収したことから、やがて共産党の機関紙としてではなく総合文化雑誌として、この後1972年まで刊行されることになった同年終刊になるまでは引き続き週刊雑誌であったが、この後1990年にジャン・リスタ(フランス語版)によって月刊雑誌として再刊され1993年に再び終刊となった。ジャン・リスタは1974年文学雑誌ディグラフフランス語版)』およびディグラフ叢書創刊し詩人であり、特にロラン・バルトジャック・デリダ親しく、「ディグラフ」という誌名叢書名はジャック・デリダ提案したものであったリスタはまず1989年12月に『ディグラフ』誌の差し込み記事として『レットル・フランセーズ』誌第1号発表し第2号1990年10月)から最終号の第33号1933年)まで月刊誌として刊行した2004年3月から2011年3月まで『リュマニテ』紙の差し込み記事16ページ)として毎月第1土曜刊行され2011年4月4月の第116号から2018年の第166号まではオンライン版のみを刊行2019年からオンライン版併せて再び紙版が刊行されている。 2004年再刊され当初は、ミシェル・フーコー2004年9月)、ジャック・デリダ2004年10月)、ジャン=ポール・サルトル2005年4月)、ジル・ドゥルーズ2006年1月)など20世紀の哲学者や、クイア理論2004年8月)、ヌーヴォー・ロマン2006年1月)など20世紀主な運動に関する特集組まれている。近年はこうした特集併せて若手アーティスト積極的に紹介している。 リスタは、2004年再刊にあたって、「これまで以上に知的なレジスタンス必要になっている」現在において、『レットル・フランセーズ』誌は「この闘争前衛アヴァンギャルド)に立って」、他の組織とともに無教養思考貧困さ、仕組まれ拡大する愚鈍化」と闘わなければならないとしている。

※この「総合文化雑誌として」の解説は、「レットル・フランセーズ」の解説の一部です。
「総合文化雑誌として」を含む「レットル・フランセーズ」の記事については、「レットル・フランセーズ」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「総合文化雑誌として」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「総合文化雑誌として」の関連用語

1
8% |||||

総合文化雑誌としてのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



総合文化雑誌としてのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのレットル・フランセーズ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS