総合時間基準でないゆえの悲劇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/21 03:40 UTC 版)
「ツール・ド・フランス1912」の記事における「総合時間基準でないゆえの悲劇」の解説
今大会では、ウジェーヌ・クリストフが山岳ステージの3、4、5ステージを制覇したこともあり、総合時間基準であれば圧勝となっていたはずが、この大会までは各ステージの着順を基準としたポイント制となっていたため、クリストフが総合首位に立ったのはわずか1回だけという奇妙な結果を生み出してしまった。 結局、1904年に発生した違反事項にかんがみて導入されたポイント制の弊害を露呈した形となったことから、ポイント制はこの大会をもって廃止。翌1913年のツール・ド・フランスからは、総合時間基準に戻ることになり、以後も総合成績は時間基準となっている。
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