第442連隊戦闘団と合流 イタリアでの戦闘
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「第100歩兵大隊」の記事における「第442連隊戦闘団と合流 イタリアでの戦闘」の解説
1944年6月11日 - チヴィタヴェッキアにおいて第442連隊戦闘団に第1大隊として編入。それまでの功績から名称は引き続き第100歩兵大隊を使用。なお、第442連隊の兵士はこの措置に不満だった。また第100歩兵大隊も第442連隊戦闘団への編入は喜ばなかった。※以降 戦死者は第442連隊戦闘団全体の人数を表記。 1944年6月26日 - トスカーナ州ピサ県ベルベデーレの戦い。戦死者13名(そのうち第100歩兵大隊の戦死者は3名)。第442連隊の第2、第3大隊の苦境を第100歩兵大隊の戦闘で突破し、以降連隊と大隊のやり取りはスムーズになった。第100歩兵大隊は、この戦闘によって1度目の大統領部隊感状を受章。 1944年6月27日~28日 - リヴォルノ県サッセッタの戦い。戦死者11名。 1944年7月1日~18日 - ルチアナ・リヴォルノ攻撃。戦死者127名。 1944年7月19日~21日、8月20日~9月1日 - アルノ川の戦闘。戦死者26名。 1944年7月~8月 - 休養と再編成、訓練が行われる中、所属や編成が数度にわたり変更される。またこの間、第442連隊と第100歩兵大隊は別の部隊として行動する。 第100歩兵大隊の兵士たちは、この間にイタリアのピサを始め、観光や休養を行った。 1944年8月25日 - “YANK”誌にベルベデーレ戦と第100歩兵大隊が掲載される。この頃にはメディアでも日系部隊の扱いが増える。 1944年9月11日 - ドラグーン作戦に参加中の対戦車中隊を除き、第442連隊戦闘団は第7軍に編入。 1944年9月27日 - ナポリより攻撃輸送艦サミュエル・チェイス号(英語版)(USS Samuel Chase (APA-26))に乗艦し、イタリアを離れる。
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