第2次から第4次編制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/05 16:10 UTC 版)
「第6装甲擲弾兵師団 (ドイツ連邦陸軍)」の記事における「第2次から第4次編制」の解説
1959年2月に第6装甲擲弾兵師団に改称・改組した。これによりA6戦闘群は第17装甲擲弾兵旅団に改称・改編しハンブルクに配置され、第3擲弾兵大隊、第13擲弾兵大隊、第3装甲大隊、第3砲兵大隊を母体に新部隊ができる。A6戦闘群を基に第16装甲擲弾兵旅団を編成。B6戦闘群は第18装甲旅団に改称・改編した。さらに師団は平時に第1軍団を離れ、連邦国防省直轄部隊となる。戦時には第1軍団の指揮統制を受け、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン地域軍の第51郷土防衛旅団が配属される予定になっていた。 第16装甲擲弾兵旅団第161擲弾兵大隊 第162擲弾兵大隊 第163擲弾兵大隊 第166補給大隊 第17装甲擲弾兵旅団第171装甲擲弾兵大隊 第172装甲擲弾兵大隊 第173装甲擲弾兵大隊 第174戦車大隊 第177野戦砲兵大隊 第176補給大隊 第18装甲旅団第182装甲擲弾兵大隊 第183戦車大隊 第184戦車大隊 第185装甲砲兵大隊 第186補給大隊 第6砲兵連隊第61野戦砲兵大隊 第62ロケット砲兵大隊 第63観測大隊 第650ロケット砲兵大隊 第610警備大隊 第6装甲偵察大隊 第6通信大隊 第6工兵大隊 第6補給中隊 第6軍楽隊 1960年秋に師団は北大西洋条約機構に結合される。同年のNATO機動演習「ホールド・ファスト(Hold Fast)」では重要な役割を担った。本師団はユトランド・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン連合陸上部隊司令部のドイツ担当部隊としての役割を担う。
※この「第2次から第4次編制」の解説は、「第6装甲擲弾兵師団 (ドイツ連邦陸軍)」の解説の一部です。
「第2次から第4次編制」を含む「第6装甲擲弾兵師団 (ドイツ連邦陸軍)」の記事については、「第6装甲擲弾兵師団 (ドイツ連邦陸軍)」の概要を参照ください。
- 第2次から第4次編制のページへのリンク