第15王朝の支配
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 17:48 UTC 版)
「エジプト第15王朝」の記事における「第15王朝の支配」の解説
マネトはヒクソスの支配を6人の王による合計284年間としている。一方トリノ王名表では6人の王、108年間とされている。マネトの記録した統治期間は明らかに過大であり、トリノ王名表の記録が現実的な値に近いとされている。ヒクソス(第15王朝)に関する歴史史料はかなり限られており、個々の王の業績は明らかではない。 第15王朝はメンフィスまでを占領した後、アヴァリスを拠点にパレスチナからナイル川デルタ東部までの地域を直轄支配下に置いてエジプトを支配した。パレスチナ地方における拠点はシャルヘン(現在のテル・ファラ)であった。行政機構は中王国時代に形成された官僚組織を引き継いだと考えられ、エジプト人官僚が多く実務に携わっていた。他の地方に対しては諸侯を封じる一種の「封建体制」を敷いた。これら従属的な諸政権には貢納の義務を負わせて宗主権を行使したが強力な支配体制を敷いた痕跡は見当たらない。 テーベに成立していた第16王朝、第17王朝もまたヒクソスの権威を一時的には承認していたと考えられる。これに関する証拠として、第15王朝の王キアンが第17王朝の首都テーベ近郊のゲベレインに神殿を建設していることがあげられる。ヒクソスの歴代王、特に後半の王達の名前を記したスカラベ等の記念遺物がヌビア地方などからも発見されている。キアン王は手広く交易活動を行っており、彼に関連した遺物はミュケナイ(クレタ島)やアナトリア半島、メソポタミアからも発見されている。
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