第11王朝(前2134-前1991)
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「エジプト第1中間期」の記事における「第11王朝(前2134-前1991)」の解説
上エジプト第4県のテーベでもまた、地元の州侯が力をつけ自立勢力を築いた。これが第11王朝とされる。マネトは第9から第11まで、あたかも連続的に王朝が成立したかのように採番しているが、実際には第10王朝と第11王朝の存続期間は大部分重複していると考えられる。テーベに興ったこの政権はヘラクレオポリス侯等、周囲の対立する政権を徐々に圧倒し、上エジプトの過半をその支配下に収めた。メンチュヘテプ2世が即位すると、国境地帯で起きた反乱を切っ掛けに第10王朝に攻め入り、長い闘いの末にこれを降してエジプトを再び統一した。このエジプトの統一をもって第1中間期の終了、エジプト中王国の始まりとされる。第11王朝はメンチュヘテプ2世の没後20年余りで終わりを迎えたが、統一政権は第12王朝に引き継がれた。
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第11王朝(前2134年-前1991年)
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「エジプト中王国」の記事における「第11王朝(前2134年-前1991年)」の解説
「エジプト第11王朝」も参照 「エジプト第1中間期」も参照 第11王朝はナイル川上流、上エジプトのテーベ州侯による政権であった。第1中間期、周辺の州侯との戦いに勝利を収めつつ勢力を拡大し、北のヘラクリオポリスに拠点を置く第10王朝とエジプトを南北に二分した。第11王朝のメンチュヘテプ2世の時、ヘラクレオポリスを占領して再びエジプトを統一した。この統一以降が中王国に分類される。しかしメンチュヘテプ2世の死後間もなく、政権は第12王朝に移った。
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