メンチュヘテプ2世死後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/01 04:00 UTC 版)
「エジプト第11王朝」の記事における「メンチュヘテプ2世死後」の解説
メンチュヘテプ2世の死後、息子のメンチュヘテプ3世が即位した。メンチュヘテプ2世の統治期間が非常に長かったため、メンチュヘテプ3世は即位した時にはかなり高齢であった。メンチュヘテプ3世は父が蓄えた国力を背景に熱心な建築事業を繰り返し、国内の反乱にも迅速に対応して安定した時代を継続し、老齢にも関わらず12年あまり統治した。 第11王朝の最後の王とされているのが次のメンチュヘテプ4世であるが、彼についての情報はやや錯綜している。サッカラやアビュドスで発見されている王名表ではメンチュヘテプ3世が第11王朝最後の王であるとされているが、別の記録ではメンチュヘテプ3世の後に7年間の空位期間があったとされている。この空位期間とされる時代に統治したのがメンチュヘテプ4世であった。彼の実際の統治の記録はほとんど残されていないが、メンチュヘテプ4世時代に宰相兼上エジプト長官であった「アメンエムハト」という人物が存在したことがわかっている。この「アメンエムハト」が第12王朝の初代王アメンエムハト1世と同一人物である可能性が極めて高いと考えられており、「アメンエムハト」によってメンチュヘテプ4世の王位が簒奪されたと推定されている。 こうして第11王朝はメンチュヘテプ2世による統一以後20年足らずして終焉を迎えたが、テーベに確立された王権はメンチュヘテプ4世を倒したアメンエムハト1世によるエジプト第12王朝によって引き継がれた。
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