メンダーニャの死後のソロモン諸島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 01:07 UTC 版)
「アルバロ・デ・メンダーニャ・デ・ネイラ」の記事における「メンダーニャの死後のソロモン諸島」の解説
2度にわたる渡航により、黄金伝説が崩れ去ったこと、近代社会から見て凶暴な原住民(当時はカニバリズムも存在したと伝えられる)の様子が各国に伝わったことから、メンダーニャの没後、積極的にソロモン諸島に乗り出す者は絶えた。18世紀に入り、ようやくフランス人のルイ・アントワーヌ・ド・ブーガンヴィル、イギリス人のジェームズ・クックらによって再探検された後、最終的にはイギリス領に組み込まれた。
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