第1次・第2次編制
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「第12装甲師団 (ドイツ連邦陸軍)」の記事における「第1次・第2次編制」の解説
1961年1月にウンターフランケンおよびバーデン=ヴュルテンベルク州内にて師団は創設され、第2軍団に所属した。第1次編成部隊は1960年7月に第10装甲擲弾兵師団から第36装甲旅団が抽出され、第2装甲擲弾兵師団と第4装甲擲弾兵師団および第1降下猟兵師団から抽出した兵員・装備から成った。1961年内に第35装甲旅団が隷下におさまる。1965年3月17日に師団司令部はタウバービショフスハイムからファイツヘーヒハイムに移転し、師団直轄部隊が完全充足し、北大西洋条約機構に結合される。
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第1次・第2次編制
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「第5装甲師団 (ドイツ連邦陸軍)」の記事における「第1次・第2次編制」の解説
1956年2月から3月にかけてA5戦闘群とB5戦闘群および第5装甲砲兵連隊が基幹部隊として編成され、同年中にバイエルン州のグラーフェンヴェーア演習場とホーエンフェルス演習場にて編成され、ウルムに司令部を置く第2軍団に所属した。 師団司令部中隊 在グラーフェンヴェーア A5戦闘群 在ホーエンフェルス B5戦闘群 在グラーフェンヴェーア 第5戦車大隊 在ホーエンフェルス 第15戦車大隊 在グラーフェンヴェーア 第5装甲擲弾兵大隊 在ホーエンフェルス 第15装甲擲弾兵大隊 在グラーフェンヴェーア 第5駆逐戦車大隊 在グラーフェンヴェーア 第5装甲砲兵大隊 在グラーフェンヴェーア 第5装甲防空大隊 在グラーフェンヴェーア 第5装甲工兵大隊 在ハン・ミュンデン、のち1958年内にディリンゲン・アン・デア・ドナウへ移転。 第5装甲通信大隊 在グラーフェンヴェーア 第5衛生大隊 在ブランネンブルク=デガンドルフ 第5軽武器整備中隊 在グラーフェンヴェーア 第5野戦憲兵中隊 在グラーフェンヴェーア 第5装甲偵察大隊 在ヘーマー 1957年、師団司令部はヴェッツラーおよびコブレンツに移転し、1958年1月1日に第3軍団に所属変更し、同年中に師団は北大西洋条約機構に結合される。さらに1958年には新編されたC2戦闘群が配属される。
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第1次・第2次編制
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「第6装甲擲弾兵師団 (ドイツ連邦陸軍)」の記事における「第1次・第2次編制」の解説
1956年10月1日、ハンブルクにあった第3装甲師団司令部を母体に第6擲弾兵師団が編成される。1958年に師団司令部はノイミュンスターに移転する。師団はA6戦闘群、B6戦闘群および第6砲兵連隊を基幹に、その他直轄部隊から成っていた。 師団司令部中隊 A6戦闘群 在フレンスブルク B6戦闘群 在ノイミュンスター 第3 / 第6砲兵連隊 第16擲弾兵大隊 第26擲弾兵大隊 第31擲弾兵大隊 第46擲弾兵大隊 第3駆逐戦車大隊 第6装甲工兵大隊 第6通信大隊 第6防空大隊 第3 / 第6衛生大隊 1B軍楽隊(のちに第6軍楽隊) 1958年に師団は第1軍団に所属し、必要に応じて防衛任務に就く場合ユトランド・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン連合陸上部隊司令部(LANDJUT)の指揮下に入る。
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