第三者からの人物エピソード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 10:21 UTC 版)
「ウィリアム・スミス・クラーク」の記事における「第三者からの人物エピソード」の解説
内村鑑三は、「後世への最大遺物」において、「ものを教える」技能を有し教育で貢献する人物の例として挙げ、農学校時代にクラークを第一級の学者であると思っていたが、米国に渡ってみるとある学者に「クラークが植物学で口を利くなど不思議だ」と笑われた、と言い[要出典]、「先生、だいぶ化けの皮が現れた[要出典]」とした。しかし、青年に植物学を教え、興味を持たせる力があったとして、「植物学の先生としては非常に価値のあった人でありました」と高く評価した。 札幌農学校の校則について、開拓長官の黒田清隆(後の内閣総理大臣)に「この学校に規則はいらない。“Be gentleman”(紳士であれ)の一言があれば十分である」と進言したと言われている。それまで雁字搦めの徳目に縛られていたのと比べると、これはいかにも簡潔なことであった。しかし、何をして良いのか、何をしてはいけないのかは自分で判断しなければならないため、自由でありながら厳しいものとなっている。ただし、開校日にクラーク自身が学生に提示した学則は、これよりはるかに多い。これは、クラークの前任者であるホーレス・ケプロンの素案をそのまま使ったためとも言われている。 離日後も黒田清隆や教え子との間で手紙による交流を続けた。現在も多くの手紙が残っている。
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