第三章 財布とコロッケ - 昭和三十四年九月 -
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「阪堺電車177号の追憶」の記事における「第三章 財布とコロッケ - 昭和三十四年九月 -」の解説
1959年(昭和34年)9月のある日、アベノ食堂の調理師の榎本章一は、阪堺電車の中で20歳前後の目鼻立ちのはっきりした美人が姫松で降りる際、彼女のバッグから財布がこぼれ落ちるのを見て、お近づきになるチャンスと財布を拾おうとしたが、それより先に小学生にその財布を拾われてしまった。しかし、その小学生は財布をポケットにしまい、電車が北畠に到着するとそのまま降りてしまった。慌てて後を追おうとして降りた章一は、今降りた電車の番号が「177」だと目にしつつその小学生を探したが、何人もの小中学生が歩いている中、どの子なのか分からなくなっていた。 その夜、章一は阪堺電車の車掌で中学時代の同級生から、通学定期で住吉公園から北畠まで電車通学している小学生のことを聞き込む。そして翌朝、住吉公園駅のホームからその小学生と一緒に電車に乗り、北畠で降りたところを呼び止めて、名札で5年2組の池山典郎だということは分かったものの、逃げられてしまう。その夜、財布を落とした女性と偶然一緒の電車に乗り合わせた章一は、住吉で降りた彼女に声をかけて、池山典郎という小学生が財布を拾ってそのまま持ち逃げしてしまったことを説明し、取り返しに行こうと誘う。 2人とも休みの水曜に、彼女・寺内奈津子と待ち合わせて住吉公園駅で待ち合わせて典郎を捕まえたが、財布を返さなかった理由は、1年生のときに出て行った母親が持っていた財布と同じものだったからだと言う。章一は、正直に財布を返した褒美にコロッケをご馳走してやると、典郎を自分の店に誘う。しかし、章一には別の思惑があった。
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