竹煮草道灌山の崖にかな
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季 節 | 夏 |
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評 言 | 何の変哲もない、素通りしてしまいそうな句であるが、なぜか気になる一句である。作者の森玲子氏は宮城県石巻市出身。日本ペンクラブ、俳人協会の会員。俳誌「水」の主宰を永らくつとめるが現在は体調を崩し勇退。私がはじめて俳句と出合った九年前、氏は七十代に入ったばかりのエレガントで、凛とした魅力的な女性であった。吟行は勿論のこと、ペンクラブや毎日俳句のパーティなど華やかな場所へ鞄持ちとしていつも御伴させていただいた。 竹煮草とは高さが二メートルにもなる有毒植物で、一見強靭そうであるがどこか儚げで、憐れな姿が句ごころを誘う。夏、白色の小花をつける。道灌山は「七重八重花は咲けども山吹の蓑ひとつだになきぞ悲しき」の歌とのかかわりや江戸城を築いたと伝えられている太田道灌に由来。虚子が「ホトトギス」(明治37年3月10日発行)に「嘗て子規子と二人道灌山の茶店に休んで居った時である。だんだん夕暮になって来て、茶店の下の崖には夕顔の花がしろしろと咲き始めた。・・・」と始まる俳話。子規と虚子の二人が夕顔の花はどのように詠むべきか、喧喧諤諤火花を散らした近代俳句史上忘れることのできない出来事の舞台となったところである。子規と虚子、俳句革新論にその名を残した、道灌山の崖にはどの草木よりも竹煮草がよく似合い、この句ほど竹煮草を際立たせたものはない。夕顔と竹煮草。そして改めて「夕顔」の歴史的、文学的背景を思うのである。 道灌山へは山の手線、西日暮里駅下車。付近には開成高校あり、少し足をのばせば平泳ぎのゴールドメダリスト北島康介氏の実家がある。 写真はplatero飛孤爺 : 《 竹煮草 》!?より |
評 者 | |
備 考 |
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