立川自動車運輸の設立とは? わかりやすく解説

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立川自動車運輸の設立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 23:54 UTC 版)

立川バス」の記事における「立川自動車運輸の設立」の解説

立川バス1929年前身である立川自動車運輸として創立され、翌1930年には路線の運行開始した当時運行区間は、立川立川駅北口) - 宮沢 - 拝島(現・拝島大師付近)と立川 - 村山 - 箱根ケ崎である。本社立川町吾妻町(現・立川市曙町二丁目)におかれた。拝島線は現在とほぼ同じ経路であるが、村山線の方は当時道路状況から、旧立川飛行場付近で現在と一部異なっていた。 立川自動車運輸1937年五日市鉄道傘下に入ることになる。なおこの「五日市鉄道」とは、現在のJR五日市線拝島駅 - 武蔵五日市駅)を経営していた会社であるが、1930年 - 1944年立川 - 拝島間に青梅電気鉄道(現:JR青梅線)と別の線を持っていた。この路線立川自動車運輸拝島線がほぼ並行していたことが買収行った理由である。 五日市鉄道傘下となった後、立川自動車運輸五日市鉄道沿線とさらに奥へ、拝島 - 牛浜 - 平井 - 五日市五日市 - 檜原本宿五日市 - 養沢について免許申請行っている。しかし、この区間は五王自動車現・西東京バス五日市エリア付近)の既存区間であり、戦時中不要不急という判断から、却下された。 1940年南武鉄道現在のJR南武線)が五日市鉄道合併し、それと同時に立川自動車運輸南武鉄道傘下となったその際南武鉄道川崎市溝口バス路線有していたため、同社路線立川自動車運輸引き継がれた(溝口営業所)が、まもなく軍需輸送上の国策によって南武鉄道青梅電気鉄道国有化矢面に立たされ、結局1944年4月両社は国に買収され南武線青梅線となる。なお、被買収企業はしばらく会社の解散をせず、南武鉄道立川自動車運輸など子会社管理関連事業経営するために存続した(現在の太平洋不動産)。

※この「立川自動車運輸の設立」の解説は、「立川バス」の解説の一部です。
「立川自動車運輸の設立」を含む「立川バス」の記事については、「立川バス」の概要を参照ください。

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