立川村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/04/21 05:03 UTC 版)
| たつかわむら 立川村  |  
  |
|---|---|
| 廃止日 | 1955年1月1日 | 
| 廃止理由 | 新設合併 満穂村・立川村・内子町・五城村・大瀬村 → 内子町  |  
  
| 現在の自治体 | 内子町 | 
| 廃止時点のデータ | |
| 国 | |
| 地方 | 四国地方 中国・四国地方  |  
  
| 都道府県 | 愛媛県 | 
| 郡 | 喜多郡 | 
| 団体コード | 消滅時制度なし | 
| 総人口 | 2384人 (1921年)  |  
  
| 隣接自治体 | 中山町・大瀬村・五城村・満穂村(廃止時) | 
| 立川村役場 | |
| 所在地 | 〒制度なし 愛媛県喜多郡立川村大字立山字横山  |  
  
| ウィキプロジェクト | |
立川村(たつかわむら)は、1955年(昭和30年)まで愛媛県喜多郡にあった村であり、現在の喜多郡内子町の北部、伊予市に接する地域にあたる。中山川の流域。
地理
現在の喜多郡内子町の北部。標高400m前後の山々が連なり、肱川の支流の中山川が南北に貫流している。中山川にそってわずかに平地がひらけ、農業が営まれている。集落は中山川沿いに点在している。
地名の由来
- 成立前の、「立山村」(たつやまむら)と「川中村」(かわなかむら)から一字ずつとったもの。
 
歴史
古代 - 中世
- 戦国期の曽根氏の居城である尾首城跡がある。(大字立山)
 
藩政期
- 大洲藩領。内山筋に属す。宝暦年間には約300名の紙漉き職人がいたとの記録がある。
 
明治以降
- 1875年(明治8年) - 伴水学校開設
 - 1889年(明治22年) - 町村制施行により成立。喜多郡に属す。
 - 1914年(大正2年) - 満穂村(みつほむら)の一部を編入(袋口(ふろく)字鈴木、程野、横平)
 - 1955年(昭和30年) - 満穂村、内子町、五城村、大瀬村との合併により、新たな内子町となる。
 
立川村の系譜 (町村制実施以前の村) (明治期) 立山 ━━┓ ┣━━━ 立川村 ━━━━━━━━┓ 川中 ━━┛ ┣━━ 内子町 ┃ 満穂村 ━━━━━━┫ 大瀬村 ━━━━━━┫ (旧)内子町 ━━━━━━┫ 五城村 ━━━━━━┛ (注記)満穂村ほかの合併までの系譜については、それぞれの町村の記事を参照のこと。
地域
立川、川中の旧2村がそのまま大字となっていた。内子町になってからは大字は省くようになった。 中山川の右岸が立山、やや上流の左岸が川中。役場は大字立山字横山においた。
行政
役場は大字立山字横山においた。
産業
米、麦、大豆、楮、ハゼ、蝋、茶、タバコ草、木炭、和紙などを産した。
交通
大洲街道(現在の国道56号)が中山川に沿って村内を貫通している。
鉄道等はない。現在、この地域には予讃線の伊予立川駅があるが、この駅ができたのは行政体としての立川村が その歴史を閉じてから、ずっと後のことである。
関連項目
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