空軍供応部
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/17 22:51 UTC 版)
第二次大戦後、中華民国空軍供応司令部(後に空軍後勤司令部と改名)が上海市から台南に移転してきた。軍の第3弁公室は民国38年(1949年)に州庁を修復して置かれたが、屋根は一部が修復されたのみで、大ホールの柱も急ごしらえのものだった。民国57年(1968年)、台南市議会での決議を経て市政府は空軍司令部に対し旧州庁を明け渡すことを要求:5、900万ニュー台湾ドルで新司令部建設費用を補償することになった:6。翌年供応部司令の将軍だった陳御風は翌年に移転することで当時の台南市長林錫山(中国語版)と合意に至った。 このとき市政府は南門尋常小学校(中国語版)(現在の台南市立建興国民中学(中国語版))内で業務を行っていた。現在も付近に府前路(中国語版)と道路名があることがそのときの名残である。 旧台南州庁中華民国(台湾)文化資産 日本統治時代の台南州庁 登録名称原臺南州廳 旧称台南庁舍台南州庁空軍供応司令部台南市政府 その他の呼称国立台湾文学館 等級国定古蹟 文化資産登録公告時期市定古蹟:1998年5月国定古蹟:2003年11月10日 位置台南州台南市幸町(中国語版)1丁目(落成時の表記) 建設年代 日本大正5年(1916年) ウェブサイト
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