秋風やかかと大きく戦後の主婦
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秋 |
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評 言 |
赤城さかえ、本名藤村昌。『浅蜊の唄』のあとがきによれば、「出生の日、庭の地に菖蒲が咲いていたので、菖の字にちなんで昌と命名した由、さかえと訓む人がほとんどいないのでぺンネームの方では仮名書にした」とあり、姓の赤城も、「…当時の非合法下の必要からつけたペンネームが赤城というのであった」と書いている。 赤城さかえという名とイコールとなるものに「第二芸術論」「草田男の犬」「根源俳句」「社会性論議」「俳句のリアリズム」などに代表される数々の論争、評論があり、私から見る赤城さかえ像は、思想的には同調できないとしても、その業績は雲を衝く巨峰を見上げる感がある。 一方、俳句作品では、これも私の中では赤城さかえといえばまず<秋風やかかと大きく戦後の主婦>が頭に浮かぶ。この作品について「自選五十句自註」では、「戦争中から、家族の食料を一手に引きうけて、何でもかでも肩からかついで運んだ主婦たち、そのたくましく発達してしまった彼女たちの足のかかとよ」(『赤城さかえ全集』)と書かれている。 この戦後の主婦の逞しさ、強さは、いま巷で流行している肉食系女性の、跳ねっ返りの強さとは根本的に違い、たおやかな見かけの裏に潜む女性本来の強さや逞しさであって、男などは逆立ちしても到底敵うところではない。その強さをさかえの自註に倣っていえば、日本の明日を一手に引き受け、なんでもかでも肩にかついで運んだ女性に、生まれながらに備わっている強さともいえるのではないだろうか。 |
評 者 |
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備 考 |
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