私設鉄道の国有化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/15 07:47 UTC 版)
鉄道国有法も参照のこと だが、このように鉄道網整備が過剰なまでに民間に依存している現状に異を唱えた者があった。「日本の鉄道の父」と呼ばれ、黎明期の鉄道行政を主導した井上勝を筆頭とする鉄道国有論者である。特に井上は早くから幹線鉄道を民営とすることに反対し、民営で幹線鉄道を建設することの弊害を訴えていた。 しかし「無い袖は振れぬ」と民間に建設を投げた政府としてはその言葉に耳を貸すわけにはいかず、また幹線鉄道を運営する私設鉄道会社がいわゆる財閥に属し、経営者の政治的発言力が強かったことから激しく抵抗された。このため国有論者が何度国有化法案を出してもそのたびに廃案にされてしまい、その間に上述したような主要幹線がほぼ民営という状態が生まれてしまった。 このために国有化論は長く塩漬け状態となっていたが、やがて鉄道の軍事的役割を意識し出した軍部が国有化論に支持の姿勢を見せ始め、さらに財閥も国有化に理解を示すようになった。かくして鉄道国有化論は一転して賛同を得ることとなり、1906年(明治39年)に鉄道国有法が成立、私設鉄道会社の半数以上に当たる17社が国有化されることになった。
※この「私設鉄道の国有化」の解説は、「私設鉄道法」の解説の一部です。
「私設鉄道の国有化」を含む「私設鉄道法」の記事については、「私設鉄道法」の概要を参照ください。
- 私設鉄道の国有化のページへのリンク