神輿祭りの時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 08:41 UTC 版)
寛延3年(1750年)4月、熊谷宿の町民109名が、それまで寺社ごとに行っていた夏祭りを全町合同で行うことを町役人に願い出て許可されたことから、町を挙げての夏祭りが始まった。これを受けて初代の「御用番」(祭事係)となった6名は現在でも「草分け六人衆」として敬われ、その功績を称えて行宮に家名入りの提灯が掲げられる。当時の御用番には旧家の者のみが就任でき、町人ながら町役人と同等の権限を与えられたと伝えられる。 当初の形態は神輿祭りであったが、その神輿が焼失したため、祭りは一旦衰退する。しかし天保元年(1830年)に神輿が新調されると、再び活気を取り戻した。この頃、祭りの期間中に各商家が疫病除けの赤飯を客に振る舞うようになり、「熊谷の赤飯振る舞い」が名物となったとされる。
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