社会的身分・公との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/05 06:28 UTC 版)
「ドルジーナ」の記事における「社会的身分・公との関係」の解説
ドルジーナは公が領地から得た収入によって扶養された。それ以外にも、軍事行為で得た戦利品の一部を手にすることができた。年代記には、上位の層のドルジーナは、自分に所属するドルジーナを有したという記述がみられる。また、上位の層のドルジーナが殺害されるという事件が起きると、犯人には2倍のヴィーラ(賠償金。殺人罪に対する賠償金を指す言葉。)が課された。なお後世になるにつれて、公は2倍の罰金制度を、下位の層のドルジーナにも適応させようと努めるようになった。 公が死亡した後は、仕えていたドルジーナは、基本的には死亡した公の後継者に譲渡された。しかしほとんどの場合、かつての公に仕えていたドルジーナが公国内での年功序列を主張し、すでに新たな公に仕えていたドルジーナは、これまでの信頼関係を盾に対抗した。よって、新旧のドルジーナの間は競争関係となることが多かった。 キエフ大公国の分化が始まる分領制時代までのドルジーナは、土地と結びつかず、公とのみ関係を持った。また、ドルジーナと公は、自由な契約関係を基本として結びついていた。ドルジーナ隊への加入・脱退は自由であり、意にそぐわない公を放棄して、他の公の元へ行くことができた。 しかしキエフ大公国の分化に伴い、リューリク朝は分家を生み、いくつかの地域に分かれていった。ドルジーナも各地に定住地を獲得し、財産としての土地を得るようになった。12世紀には既にドルジーナは土地を所有していた。これは、結果として、各地の民会・民兵の減少を意味した。そしてドルジーナ(並びにドルジーナから派生したボヤーレ)は、その初期には公の最も親しい戦友であったが、最終的には新しい貴族階級・ドヴォリャンストヴォ(ru)となり、公に敵対するようになった。
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