社会政策と外交
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/04 09:06 UTC 版)
「エドゥアルト・ターフェ」の記事における「社会政策と外交」の解説
また次第に台頭する労働運動に対しては、それを宥めるためにドイツ帝国のビスマルクの政策にならいさまざまな社会政策立法が行われた。まず1885年の改正営業法で国家が各企業の労働条件に関与する道を開き、1889年には疾病・傷害保険への加入が義務化された。その他小規模営業者や小農民に対しても保護的な諸政策が採られ、反面、都市部の労働者の間で力を伸ばしつつあった社会主義勢力に対しては社会主義者鎮圧法により徹底的に弾圧をもって臨んだ。保守派でありつつも現実的感覚に優れた政治家であったターフェは、チェコ系の政治指導者と提携することで政治の安定を勝ち取り、二重帝国期において10年以上に及ぶ異例の長期政権を実現し、その任期は隣国ドイツにおける「ビスマルク時代」の後半期とほぼ重なっていた。また彼の在任中、オーストリアはグスタフ・カールノキ外相の下で三国同盟や三帝協商に参加しいわゆる「ビスマルク体制」の形成に協力しつつロシアとの協調関係を維持することにより、国際社会での地位を安定したものにした。
※この「社会政策と外交」の解説は、「エドゥアルト・ターフェ」の解説の一部です。
「社会政策と外交」を含む「エドゥアルト・ターフェ」の記事については、「エドゥアルト・ターフェ」の概要を参照ください。
- 社会政策と外交のページへのリンク