社会政策への関心
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 01:50 UTC 版)
添田はまた、日清戦争後、社会問題の顕在化を背景に結成された社会政策学会に参加している。彼は「健全なる国民の発育」の観点から工場法の制定の必要を認めており、1896年の農商工高等会議ではこれに反対する渋沢栄一(のち賛成に転じた)らを前に自説を強く主張した。退官後に開催された1907年の社会政策学会第1回大会では資本と労働の調和の重要性を説いている。 社会政策学会における添田は、「主従の情誼」や家族主義・温情主義に基づく政策を唱道する最右派とされ、先述の第1回大会でもより急進的な部分を代表する高野岩三郎・福田徳三からの批判を受けている。しかし早くから社会政策の必要に着目した先見性は師の田尻や同僚の阪谷には見られないものであり、幅広い視野をもつ開明派官僚であったといえる。
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