確かな存在
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/22 08:38 UTC 版)
三島と妹との関係について野坂昭如は、妹・美津子は三島にとって「確かな存在だった」と述べて、三島が8歳、美津子が5歳までは一緒だったが、ほとんど祖母の部屋に居た三島と美津子は「家庭内別居の状態」で、三島が8歳から12歳までは住まいが別となり、その後、「兄妹の意識はうすいまま」三島が12歳の春にようやく、妹と同居するようになった経緯や資料を辿って次のように解説している。 十二歳で三島は、九歳の妹を持った。はっきり異性を意識したろう。それまで、祖母の妹たちの、いずれも子沢山の中の、女の子たちと遊ぶ機会はあっても、祖母の傘のうちでしかない。妹であればこその、男としての愛し得ない障害の予感が、三島を昂ぶらせた、保護者の快さもある、活字でしかしらなかった女の、初々しいながら、すべての萌芽を妹はしめす。美津子にしても、女の勘で、およその事情、兄の立場を理解、のみこんでいた。弟よりはるかに消息通だった。風変りな、気の毒な人とながめていたのが、一緒に暮してみれば、三島の、いち早く切り替えた、両親の膝下にあっての良い子面のせいもあり、けっこう活発だし、なにより頭が良い。妹の目からすれば、知らないことのない印象。梓はほとんど家をかえりみない、平岡家にとにかく、男があらわれたのだ。他人の期待にそって、そつなく役割をこなすことは、およそ父性を具体的に知らぬながら、三島にはできた。美津子の求めに、先んじて応対するなど、なつのそれに較べいかに容易なことか。妹の満足そうな表情に、三島も充足感を覚える。「お転婆」「おしやま」「あきつぽさ」「わがまま」「驕慢」のそのすべてが、好ましい。しかも、中等科へ入れば、才能を認めた教師の寵を受け、はるか年上の文芸部員が、対等のつき合いをしてくれる。(中略)そして肩肘張ったその疲れを、美津子が癒した。 — 野坂昭如「赫奕たる逆光 私説・三島由紀夫」
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