破棄・復活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 08:42 UTC 版)
「スペイン1812年憲法」の記事における「破棄・復活」の解説
フェルナンド7世は連合軍の手で1814年3月に復位する際、スペイン政府の新しい憲章を支持すると約束したが、カトリック教会の後押しする保守派の働きかけを受けて数週間足らずで憲法を拒絶し(5月4日)、自由主義派の指導者を逮捕し(5月10日)、コルテスが自身の不在中に同意なく制定した憲法であることを理由に拒絶行為を正当化した。主権は国王一身に存するというブルボン朝の原理を主張するように戻ってしまったのである。 しかし、1820年にリエゴ・イ・ヌニェスが反乱を起こした後に始まる「自由主義の三年間」(1820年–1823年)に復活した。 フェルナンドの圧政が1820年の将校の反乱を招いた際、1812年憲法はスペインにおける立憲君主制の実現を願う自由主義派の旗印となった。1823年のトロカデロの戦い(英語版)の後、自由主義政府から解放されたフェルナンドは激しい怒りをもって自由主義派や立憲主義派を弾圧した。 1837年憲法が制定されるまでリベラリスモの旗印となり、ポルトガルやイタリア、イベロアメリカ諸国の国民主義、リベラリスモに影響を及ぼした。 1812年以後スペインでは、現行の1978年憲法を含め、全部で7つの憲法が制定された。
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