破壊計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 08:42 UTC 版)
破壊計画は大川周明が立てた。 これに永田鉄山軍事課長、岡村寧次補任課長ら当時の陸軍上層部や社会民衆党の赤松克麿、亀井貫一郎、右翼の思想家大川周明や右翼活動家・清水行之助らも参画。 2月7日、重藤支那課長宅で、坂田中佐、根本中佐、田中清大尉の4名が行動計画案を協議した。計画では、3月20日頃に大川、亀井らが1万人の大衆を動員して議会を包囲。また政友会、民政党の本部や首相官邸を爆撃する。混乱に乗じ、第1師団の軍隊を出動させて戒厳令を布き、議場に突入して浜口内閣の総辞職を要求。替わって宇垣一成陸相を首班とする軍事政権を樹立させるという計画だった。 1月-2月頃、大川は宇垣の真意を確認するために宇垣と会い、婉曲に「東京で暴動が起って、首相への出馬を要請されたらどうするか」と尋ねると、宇垣は、「国家に有事があれば身命を捨てて乗り出す」と答えたため、大川は宇垣は計画に賛成したと判断したとされる。
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