石田ゆりとは? わかりやすく解説

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石田ゆり

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/12 14:52 UTC 版)

石田 ゆり
出生名 石田 由利子[1]
生誕 (1951-11-23) 1951年11月23日(73歳)
出身地 日本 大阪府池田市
ジャンル 歌謡曲
職業 歌手女優
活動期間 1970年 - 1971年
1978年 - 1980年
レーベル 東芝音楽工業
配偶者 なかにし礼1971年 - 2020年

石田 ゆり(いしだ ゆり、本名:中西 由利子1951年11月23日 - )は、1970年代に活躍した元歌手。夫は作家・作詩家のなかにし礼2003年度下半期のNHK連続テレビ小説てるてる家族』(原作:なかにし礼)の主人公・冬子は、彼女がモデルである。

来歴

生い立ち

大阪府池田市生まれ。4人姉妹の末っ子で長姉は石田治子、次姉は石田良子(いしだあゆみ)、三姉の名は石田三恵子。

芸能生活

1968年、梅花高等学校1年修了で宝塚音楽学校に入学。1970年、同校を卒業。同期には小柳ルミ子麻実れい等がいた。「名月ゆり」の芸名も決まっていたが、宝塚歌劇団への入団を辞退。上京し、芸映に所属。同年9月、シングル「悲しみのアリア」で東芝レコードから歌手デビュー。

シングル4枚とアルバム2枚を発表後、全シングルの作詞を手掛けた、なかにし礼と1971年10月16日に結婚し、芸能界を引退した。挙式の見届け人は児玉誉士夫だった[2]。引退後は1978年のテレビドラマ「ムー一族」などに出演した。なかにしとの間に1男(音楽プロデューサー・中西康夫)、1女がいる。

ディスコグラフィー

シングル

  1. 悲しみのアリア1970年9月25日)/EP:CP-1063 オリコン27位
    作詞:なかにし礼/作曲・編曲:筒美京平
    c/w: 愛は嘘をつけない
  2. 愛ある限り(1971年1月10日)/EP:CP-1065 オリコン53位
    作詞:なかにし礼/作曲・編曲:川口真
    c/w: いつか来る朝
  3. 愛を知ったから(1971年5月5日)/EP:CTP-2441
    作詞:なかにし礼/作曲・編曲:筒美京平
    c/w: 叱らないで
  4. いつも二人(1971年8月8日)/EP:CTP-2491
    作詞:なかにし礼/作曲・編曲:筒美京平
    c/w: 嫁ぐ朝

アルバム

  1. 悲しみのアリア(1971年1月25日) - ベッツィ&クリスメリー・ホプキンの日本語カバーなどを含む全12曲。2005年にヴィヴィド・サウンド・コーポレーションから紙ジャケットでCD化。
  2. 愛の詩集 石田ゆり ラヴ・アルバム (1971年7月5日) - 筒美京平作曲の6曲を含む全12曲。

主な出演作品

映画

テレビドラマ

バラエティ

脚注

  1. ^ 中日スポーツ1971年10月17日9面
  2. ^ 中日スポーツ1971年10月17日9面




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