石炭産業による発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/17 07:49 UTC 版)
「テレホート (インディアナ州)」の記事における「石炭産業による発展」の解説
南北戦争が終わると、それまでテレホートの主要産業であった豚肉加工業は衰退した。しかし1867年に近郊のクレイ郡で石炭の鉱脈が発見されると、テレホートでは石炭産業や製鉄業が栄えた。また、市内には蒸留所やビール醸造所が建ち並び、競馬場も設けられ、地域経済が一気に潤った。地域経済の発展に伴って、テレホートにはインディアナ州立普通学校(現インディアナ州立大学)やテレホート産業科学大学(現ローズ・ハルマン工科大学)などの高等教育機関が創立し、文化面でも発展していった。 また、テレホートは産業の中心となったことから、労働組合の活動も活発になっていった。1881年8月には、アメリカ合衆国・カナダ職能労働組合連盟(FOTLU)、アメリカ労働総同盟(AFL)、そしてアメリカ労働総同盟・産業別組合会議(AFL-CIO)の大元の前身となった合同職業別組合がテレホートで結成された。社会党から大統領選挙に5度立候補した労働運動家、ユージン・V・デブスを生んだのもテレホートであった。 1889年5月、テレホートの中心部で石油が発見されるとブームが起こり、Terre Haute Oil Craze(テレホート石油狂気)と呼ばれた。しかし、テレホートを栄えさせてきた石炭とは異なり、石油の採掘は長くは続かなかった。 地域経済や産業の発展の一方で、街の風紀は乱れていった。1890年代に入ると、市の中心部に売春宿が建ち始め、やがて赤線地区が形成された。20世紀初頭の全盛期には、テレホートの赤線地区には81軒の売春宿が建ち並んでいた。地元新聞紙は赤線地区内の売春宿を「リゾート」と称していた。この頃に形成された赤線地区は、1960年代後半に再開発が行われるまで存続した。
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