石村美千代とは? わかりやすく解説

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石村美千代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/16 06:43 UTC 版)

石村 美千代
Michiyo Ishimura
基本情報
本名 畑田 美千代
はただ みちよ
国籍 日本
生年月日 (1935-03-15) 1935年3月15日(90歳)
縁故選手 石村正利(元夫)
選手情報
期別 期前
■最終更新日:2021年9月7日  テンプレートを表示

石村 美千代(いしむら みちよ、1935年3月15日[1] - )は、元女子競輪選手。旧姓畑田(はただ)。選手登録地は京都府のち山口県。選手登録番号は919(女子)[1]

元夫は同じく元競輪選手の石村正利[2]日本競輪学校(当時)1期生)。ホームバンクであった防府競輪場では、2020年まで石村正利賞(FI)が行われてきた(通算20回開催)が、同レースは2021年より新たに『石村正利記念杯』(FI)として行われている。

来歴

デビュー当初は畑田美千代として、京都府[3]を登録地としていた。石村正利と結婚後に山口県に登録地を移し、選手登録名も石村美千代に変更した。

1956年、女子の大会としては最後の開催となった第11回全国争覇競輪後楽園競輪場)で、田中和子を破って特別競輪初優勝[4][5]。同年は1,339,840円を獲得し、田中和子らを抑えて年間賞金女王にもなった。

1957年、4月に高松、9月に門司でそれぞれ行われた全国都道府県選抜競輪を制覇[5]

1958年、第9回高松宮妃賜杯競輪大津びわこ競輪場、以下 びわこ)を優勝[5]

1964年、昭和期の女子競輪では最後の特別競輪となった第15回高松宮妃賜杯競輪(びわこ)を制した。そして、同年10月31日、選手登録消除[1]。最後まで残った昭和期の女子競輪選手の一人でもあった。

脚注

  1. ^ a b c 競輪三十年史p.279 - 日本自転車振興会、1978年11月20日発行
  2. ^ 競輪人国記 山口(1) - リアルライブ 2009年7月28日付
  3. ^ 10回~1回の歴代記念競輪等優勝者一覧 - 高松けいりん
  4. ^ 競輪人国記 山口(2) - リアルライブ 2009年8月4日付
  5. ^ a b c このときは畑田姓。

参考文献

  • 月刊競輪 2002年2月号 - 2001年年間記録集

外部リンク




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