第78回日本選手権競輪
いわき平競輪場 ・GI
周長:400m みなし直線:62.7m
レース詳細
開催日
2024年4月30日(火) - 5月5日(日・祝)
レース結果
優勝
[2 ] 平原康多
(埼玉)
2位
[9] 岩本俊介
(千葉)
3位
[1] 古性優作
(大阪)
第78回日本選手権競輪 は、2024年 4月30日 から5月5日 まで、いわき平競輪場 にて開催された競輪のGI 競走 である。優勝賞金は8,900万円(副賞込み[ 1] [ 2] )。
令和6年能登半島地震 を受け、被災地支援競走 として実施。令和6年能登半島地震復興支援競輪 大阪・関西万博協賛 第78回日本選手権競輪 の名称で開催された[ 3] [ 4] 。
決勝戦
競走成績
・各項目について
着
番
選手名
齢
府県
期別
班
着差
上り
決ま り手
S/J H/B
個人 状況
1
2
ひ 平原康多
41
11 埼玉
87
1
11.3
差し
2
9
い 岩本俊介
40
12 千葉
94
1
3/4身
11.2
差し
3
1
こa 古性優作
33
27 大阪
100
S
1/2身
11.1
走注(斜行)
3.5
4
4
よ 吉田拓矢
28
08 茨城
107
1
1/2輪
11.5
B
5
7
む 武藤龍生
33
11 埼玉
98
1
1/2輪
11.3
S
走注(押圧)
6
3
し 清水裕友
29
35 山口
105
S
3/4身
11.1
7
6
も 諸橋愛
46
15 新潟
79
1
3/4身
11.4
事故入
8
5
や 山口拳矢
28
21 岐阜
117
S
3/4輪
11.2
9
8
こb 小林泰正
29
10 群馬
113
1
3/4身
11.5
JH
重注(YL踏切)
配当金額
・各項目について
2枠複
ワイド
2=9
1,300円
(19)
1=2
390円
(4)
1=9
640円
(7)
2枠単
2車複
3連複
2車単
3連単
レース概略
[ 12] [ 13] [ 14]
今開催も賞金が前年に続き拡充され、優勝賞金も前回より300万円増額され過去最高の8,900万円(副賞含み)となった。
今大会のキャッチフレーズは「
GET TO THE TOP
!!」。大会アンバサ ダーは俳優でいわき市 出身の武田玲奈 [ 注 2] が務めた。武田は、最終日の5月5日に来場してサイクルコロシアム内特設ステージ(2センター真下)にてトークショーを行ったほか、表彰式(同じく特設ステージで実施)において優勝を飾った平原康多 に花束贈呈を行った。平原は、最終日のイベントでミニライブを行った純烈 による優勝者コールのあと敢闘門から登場し、バンクを歩きながらサイクルコロシアムに下りてステージに登場となった(退場はその逆)。
初日の開会式での敢闘宣言は、地元・福島の高橋晋也が行った[ 16] 。
今開催では、バンクの内側にある1階部分を使って様々なイベントが行われた。最終日の優勝者表彰式は、2コーナー下に設けられた特設ステージで、大勢のファンを前にして行われた。優勝した平原は、敢闘門からバンク内を歩き、4コーナーにある階段を下りてステージに現れた。
シリーズ全体での目標額は143億円[ 18] だったが、シリーズ六日間全体の総来場者は3万5376人[ 19] 、総売上額は前年比107.0%増の152億5791万4200円[ 20] で目標を大きく上回った。なお、各日ごとの入場者数と売上額は、初日入場3,693人・売上18億3084万5100円[ 21] 、2日目入場3,671人・売上24億8208万7100円[ 22] 、3日目入場3,427人・売上24億3008万2400円[ 23] 、4日目入場5,662人・売上24億5606万600円[ 24] 、5日目入場7,378人・売上25億7503万6000円[ 25] 、最終日入場11,645人[ 注 4] ・売上34億8380万3000円[ 26] 。決勝の売上額は14億7036万4000円であった[ 注 5] 。
放送関係
競走データ
S級S班 の9選手においては、4月26日に脇本雄太が負傷欠場となったため前年に続き全選手が揃うことはなかった。脇本は直前の西武園 記念 初日12R初日特選で最下位となり、そのまま途中欠場になった影響で、欠場を決めた。なお、脇本の欠場に伴い、初日の特別選抜予選には坂井洋 が繰り上がり番組が変更となった[ 30] 。なお、出場した8選手のうち、地元の佐藤慎太郎 は4日目の二次予選で[ 31] 、眞杉匠 ・深谷知広 ・松浦悠士 ・新山響平 は5日目の準決勝でそれぞれ敗退となった。
この年に予定されているパリ五輪 出場を目指すナショナルチームの選手は、2月の全日本選抜 に続き同チームでの活動を優先して欠場の扱いとなった。
今開催では、最年少出場は吉田有希(119期、22歳)、最年長出場は内藤宣彦(67期、53歳)。
今開催では小倉竜二 が選考順位第40位で選出され[ 3] 、2日目第8レースに出走(1着)。これにより連続27回出場となり大会新記録を達成した[ 注 7] 。
日本選手権競輪で優勝すれば地元でのグランドスラム となる山崎芳仁は、準決勝4着で惜しくも敗退した。
最終日は、第3レース、第4レースと立て続けに再発走(スタートやり直し)となった。
今回がGI初優出となったのは、小林泰正と、3連勝で来た岩本俊介 [ 32] 。連覇がかかった山口拳矢 以外は大会未制覇の、顔ぶれとなった、
脚注
注釈
^ ガールズケイリン は、本年より日本選手権競輪の直前に行われるオールガールズクラシック に移行した。
^ 武田は、いわき平競輪場のオリジナルアンバサダーを勤めている。
^ DJ KOO ・スパリゾートハワイアンズ ダンシングチーム ・MAX によるライブが行われた。なお、関係者によると、GI大会において前夜祭の開催はおそらく史上初とのこと。
^ 静岡 以外でのGI最終日の入場者数1万人超えは、岸和田 で行われた2009年3月8日の第62回日本選手権競輪最終日(1万1671人)以来15年ぶりだった。
^ 売上票数は、2枠複: 70,441票、2枠単: 116,987票、2車複: 192,231票、2車単: 1,166,840票、3連複: 1,070,635票、3連単: 11,988,886票、ワイド: 97,620票、計: 14,703,640票であった[ 7] 。
^ この番組の影響もあり、地上波では最後まで放送されなかった。
^ a b 中止となった2020年 の第74回大会も出場したとみなし、連続出場記録にカウントされている。
出典
外部リンク
1940年代
1950年代
1950 名古屋
1951春 後楽園
1951秋 大阪中央
1952春 川崎
1952秋 後楽園
1953 大阪中央
1954 川崎
1955 大阪中央
1956 後楽園
1957 後楽園
1958 後楽園
1959 後楽園
1960年代
1960 後楽園
1961 中止
1962 一宮
1963 後楽園
1964 後楽園
1965 後楽園
1966 後楽園
1967 後楽園
1968 後楽園
1970年代
1980年代
1990年代
1990 平塚
1991 一宮
1992 前橋
1993 立川
1994 静岡
1995 松戸
1996 千葉
1997 岸和田
1998 西武園
1999 静岡
2000年代
2000 千葉
2001 松戸
2002 立川
2003 平塚
2004 静岡
2005 松戸
2006 立川
2007 平塚
2008 静岡
2009 岸和田
2010年代
2020年代