看護の道を志すとは? わかりやすく解説

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看護の道を志す

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/02 23:24 UTC 版)

眞玉橋ノブ」の記事における「看護の道を志す」の解説

1935年昭和10年3月卒業間近、級担任から赤十字学生募集について紹介を受ける。「女でお国のために尽くせ唯一の道」と受験決意、これが半生職業となる「看護」への転機であった時世満州事変から日中戦争へと向かう過渡期日本は準戦時体制下にあったそのような中、名門第一高等女学校出て看護の道に進むことは、家族の深い理解協力なければ困難な時代でもあり、また相当勇気のいることであった県立第一高等女学校卒業する日本赤十字社沖縄県支部救護看護婦養成所入所する1938年昭和13年3月赤十字養成所卒業後、しばらくは母校県立第一高等女学校衛生婦(現在の養護教諭)また県立女子師範学校衛生婦を兼務した。翌年日本赤十字社95救護班要員として応召し北九州市小倉陸軍病院配属された。 1937年支那事変勃発し日中の間で全面的な戦争態となっており(日中戦争)、陸軍病院には満州北支南支など中国全土から次々と傷病兵送られてきた。看護婦なかでも赤十字看護婦新人でも責任の重い仕事任されノブ重症病棟管理責任者となった。「兵隊さん以上にやらなければ」と月二回の休日自分意思返上し夜勤明け翌日そのまま勤務するなど赤十字看護婦としての誇り高く持ち、常に患者救護第一に考え行動した4年8か月にわたる小倉陸軍病院での献身的な勤務評価され1940年昭和15年4月勲八等瑞宝章授与された。

※この「看護の道を志す」の解説は、「眞玉橋ノブ」の解説の一部です。
「看護の道を志す」を含む「眞玉橋ノブ」の記事については、「眞玉橋ノブ」の概要を参照ください。

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