畿内での活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/17 03:01 UTC 版)
幼少時は不明だが、父に従っていた記録は残り、12、13歳頃から和歌を学ぶ。足利将軍家内部の対立から室町幕府初代将軍足利尊氏と弟の足利直義の両派の抗争へ発展した観応の擾乱においては、父と共に将軍側に属する。直義派や南朝勢力と戦い、正平10年/文和4年(1355年)には細川清氏と共に東寺合戦で戦う(『難太平記』)。 室町幕府執事となった清氏が正平16年/延文6年(1361年)に失脚して南朝に下ると、父の命で講和呼びかけの為に遠江から召還される。軍事活動のほか、遠江や山城の守護職、幕府の侍所頭人、引付頭人などを務め、正平22年/貞治6年(1367年)に2代将軍足利義詮が死去すると出家。
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