畳み・円座、二行対座
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 22:55 UTC 版)
平安時代には現在の和室のように畳が敷き詰められるということはない。単体で敷かれるか二行対座である。二行対座とは中間にスペースを取り、畳みを二列に敷いて向き合う形である。画像455は『類聚雑要抄』巻第一にある東三条殿・寝殿で行われた「正月大饗」の指図である。右の尊者(主賓)は公卿座を向いているが、その公卿座が二行対座である。 畳みは蓆(むしろ)を重ねて綴じたものであり、現在のもののように固くしまったものではなく、柔らかく弾力があった。大きさは『類聚雑要抄』には「長七尺五寸弘三尺五寸」とある。 畳みの種類は最上級が繧繝縁(うんげんべり、うげんべり)だが、普通は高麗縁と紫縁で、高麗縁には大紋高麗と小紋高麗があり、室町時代の『海人藻芥』には大紋高麗は親王・摂関・大臣。小紋高麗は大臣でない公卿。公卿より下位の殿上人は紫縁とある。この縁の種類でそこに座る者の位が表せた。また下位の者には畳みは敷かれず、円座のみの場合もある(「室礼#畳」も参照)。
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