画家、装飾家として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/24 03:59 UTC 版)
「シャルル・ルブラン」の記事における「画家、装飾家として」の解説
1619年2月24日、パリで彫刻家の家に生まれる。1632年フランソワ・ペリエに絵画を学び、その後ル・ブランの才能を認めたセギエにより、1634年にシモン・ヴーエの工房へ預けられる。1638年にはすでに宮廷画家としてリシュリューから最初の注文を受けていたが、1642年にセギエの経済的支援により、プッサンと共にローマへ渡り、4年間プッサンの下で最先端の美術を学んだ。 1658年よりル・ブランは、建築家ルイ・ル・ヴォー、造園家ルノートルと共に財務卿ニコラ・フーケが所有するヴォー=ル=ヴィコント城の建設に着手した(1661年完成)。ヴォー=ル=ヴィコント城はこの3人による初めての共同作品であり、彼らがこの城のために造ったあらゆる景色、製造物による絢爛豪華な新秩序は、その後のルイ14世様式の始まりである。彼らはフーケの失脚後、ヴェルサイユ宮殿を造った。 ルイ14世は、ル・ブランのヴォー=ル=ヴィコント城での仕事や、王が依頼したアレクサンドロス大王の歴史画を賞賛、1664年、ル・ブランは王の第一画家(fr:Premier peintre du Roi)として爵位と年間12,000リーブルの年金を与えられた。国王は彼を「古今の最も偉大なフランスの芸術家である」と宣言した。
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