甲州道中図屏風に描かれた甲州道中の名所とは? わかりやすく解説

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甲州道中図屏風に描かれた甲州道中の名所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/19 02:24 UTC 版)

甲州道中図屏風」の記事における「甲州道中図屏風に描かれた甲州道中の名所」の解説

甲州道中屏風では旅行者確実に現地旅して描いたとみられる風景描かれている。24大椚 濁池(おおくぬぎ にごりいけ)」は、付箋には「弁天社」とのみ記されているが、松林池の周囲取り囲んだ図像は『甲斐国志』や『官遊紀勝』『五海道細見案内』に記される甲斐名所大椚濁池」であることが指摘される大椚濁池現存していないが、『国志』に拠れば鉄気含んだ黒水水面落葉浮かんでいたとされ、屏風絵でも同様の図像描かれている。 屏風絵ではこの他にも著名な甲州道中甲斐名所数多く描かれているが、近代の開発により消滅してしまった名所含まれている。7「与瀬から吉野」8「弁天池か」9「金亀石」は1947年相模湖相模ダム)が造成されたことにより湖底埋没している。22「駒飼石」は聖徳太子伝承に関わる史跡であったが、水害により消失したという。25時忠墓」も水害により消滅している。時忠墓は平家一族である平時忠墓所とされる史跡で、江戸時代には時忠石和鵜飼をからめ、時忠の霊を鎮めたのが日蓮であるとする伝承伝えられている。また、15上野原付近桂川」では桂川における鵜飼描かれているが、桂川における鵜飼近代途絶している。 甲斐国における鵜飼江戸時代19世紀)の『甲斐名所寿古六』に記される「忘川」(荒川か)における鵜飼石和鵜飼知られる。「忘川」における鵜飼全国鵜飼一般的な漁師が船へ乗り込み鵜飼を行う「船鵜飼」であるのに対し石和鵜飼や『甲州道中図屏風』に描かれる桂川における鵜飼漁師直接川へ入り鵜飼を行う「徒歩鵜飼」として知られ類例少ない。桂川における鵜飼その後途絶してしまっているため、『甲州道中図屏風』は失われた景観生業を知る資料としても重要視されている。

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