甲州道中図屏風に描かれた甲州道中の名所
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「甲州道中図屏風」の記事における「甲州道中図屏風に描かれた甲州道中の名所」の解説
甲州道中屏風では旅行者が確実に現地を旅して描いたとみられる風景が描かれている。24「大椚 濁池(おおくぬぎ にごりいけ)」は、付箋には「弁天社」とのみ記されているが、松林が池の周囲を取り囲んだ図像は『甲斐国志』や『官遊紀勝』『五海道細見独案内』に記される甲斐の名所「大椚の濁池」であることが指摘される。大椚の濁池は現存していないが、『国志』に拠れば鉄気を含んだ黒水で水面に落葉が浮かんでいたとされ、屏風絵でも同様の図像が描かれている。 屏風絵ではこの他にも著名な甲州道中・甲斐の名所が数多く描かれているが、近代の開発により消滅してしまった名所も含まれている。7「与瀬から吉野」8「弁天池か」9「金亀石」は1947年に相模湖(相模ダム)が造成されたことにより湖底に埋没している。22「駒飼石」は聖徳太子伝承に関わる史跡であったが、水害により消失したという。25「時忠墓」も水害により消滅している。時忠墓は平家一族である平時忠の墓所とされる史跡で、江戸時代には時忠と石和鵜飼をからめ、時忠の霊を鎮めたのが日蓮であるとする伝承が伝えられている。また、15「上野原付近の桂川」では桂川における鵜飼が描かれているが、桂川における鵜飼も近代に途絶している。 甲斐国における鵜飼は江戸時代(19世紀)の『甲斐名所寿古六』に記される「忘川」(荒川か)における鵜飼や石和鵜飼が知られる。「忘川」における鵜飼は全国の鵜飼で一般的な漁師が船へ乗り込み鵜飼を行う「船鵜飼」であるのに対し、石和鵜飼や『甲州道中図屏風』に描かれる桂川における鵜飼は漁師が直接川へ入り鵜飼を行う「徒歩鵜飼」として知られ、類例の少ない。桂川における鵜飼はその後途絶してしまっているため、『甲州道中図屏風』は失われた景観や生業を知る資料としても重要視されている。
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