甲子園6回以上出場とは? わかりやすく解説

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甲子園6回以上出場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 06:51 UTC 版)

日本の高校野球」の記事における「甲子園6回以上出場」の解説

現在、1人選手甲子園出場できる回数最大5回まで。しかし、学制改革前旧制中学5年制のため6回以上甲子園出場することが可能であり(ここには学制改革が行われた直後高校生を含む)、理論上1人選手10出場することが可能だった1人選手による最多出場回数(ベンチ入り含む)は岡村俊昭波利熊雄、光俊盛(いずれも平安中、現・龍谷大平安)の9回、試合出場した回数に限ると岡村小川正太郎和歌山中、現・和山県桐蔭高校)の8回が最高。田中雅治海草中現・和山県向陽高校、のち朝日軍)は1937年夏(ベンチ入りのみ)から8季連続出場1941年夏の第27回大会出場すれば9季連続出場であったが、戦争影響により同大会が地方大会途中で中止となったため叶わなかった。また初期選抜大会には年齢制限がなかったためか、小林政重(松本商、現・松商学園)は同大会に6回出場している。学制改革後に、5回すべてに出場した選手は堤達郎(高松商・1977年1979年)、荒木大輔早稲田実1980年〜1982年、のちヤクルトスワローズ他)、小沢章一早稲田実1980年〜1982年、荒木同期選手)、黒柳知至(早稲田実1980年〜1982年、同上)、清原和博PL学園1983年1985年、のち西武ライオンズ他)、桑田真澄PL学園1983年1985年、のち読売ジャイアンツ)、梅田大喜明徳義塾2002年2004年)、鶴川将吾(明徳義塾2002年2004年)、道端俊輔智弁和歌山2009年〜2011年)、黒川史陽西川晋太郎東妻純平いずれも智弁和歌山2017年2019年)の12人。堤、黒柳、東妻の1年夏はベンチ入りのみ。

※この「甲子園6回以上出場」の解説は、「日本の高校野球」の解説の一部です。
「甲子園6回以上出場」を含む「日本の高校野球」の記事については、「日本の高校野球」の概要を参照ください。

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